竹内街道@ 2021年4月18日
大小路から榎元町までの約2qについては、西高野街道と重なっています。西高野街道を歩いた時の記事と写真を共有することにしました。
大小路 (おおしょうじ) &竹内街道を歩くのは初めてです。以前はたいてい、「御陵前」から大仙公園に向かって歩きましたから。
ここもケヤキの並木道のようです。歩道も広く、快適で御座います。
入ってすぐにエレベーターに乗りました。
21階の展望ロビーから履中天皇陵を眺めています。
仁徳天皇陵 (本来なら大山古墳とすべき)はもっと近くから眺めたいものです。
展望ロビーの写真を、左に隠れているハニワ部長が説明中? 反正天皇陵、仁徳天皇陵、履中天皇陵、いたすけ古墳、御廟山古墳、ニサンザイ古墳と貝殻のかたちをした小さな古墳が、わたしの知っている百舌鳥古墳群なり。何度も行っているので、いつの間にか覚えてしまいました。私が好きなのはニサンザイ古墳なり。絵になりますから。
堺市役所高層館
竹内街道&西高野街道についても、長尾街道と同様によく整備され、迷うことなく歩くことが出来ました。
道なりに歩きました。
竹内街道@続 2021年12月19日
大小路から榎元町までの約2qについては、西高野街道と重なっているので、既に歩いているところです。南海/JR三国ヶ丘駅から榎元町まで西高野街道を元に戻って、榎元町から竹内街道Aを歩き始めることにしました。思いのほか、冷たい日で(その割りに薄着のままだったので)辛い時間を過ごすことになりました。
途中、歩数計(距離計)が止まったことに気が付きましたが、帰宅後に地図から距離を測って事なきを得たと思っています。松原市岡町まで歩いた距離6q、時間は1時間50分でした。+おまけ(5q)
榎元町の分岐点です。ここは何度も歩いていますが、いつも右の西高野街道側でした。初めて左の竹之内街道を歩くことになります。
早速、竹内街道のことが書かれていました。
この道標を見ると安心します。
中央環状線を南に渡りました。黒土町の、未知の道を歩きます。
聖徳太子が亡くなって1400年になります。同じ頃に竹内街道が完成したようです。
道案内もあります。
いつもの道標があると安心できます。
道標がなくなって心配したころに、それらしき公園が現れました。
竹ノ内街道とか、竹之内街道という表記も見かけますが、「竹内街道」で統一することにしました。
目標にしていた金岡小学校に到着しました。思った以上に遠いものです。
金岡神社は難波宮から真っ直ぐ南に位置する難波大道筋であると読んだことがありますが、それらしき説明(標示)はありませんでした。
金岡神社のあと、しばらく石畳の道が続きました。
大泉緑地に無事にたどり着きました。ここから交通量が多い道で、う回路もありますという記事を読みましたが、このまま貫徹します。そのために日曜日を選んだつもりです。
安全な歩道も、路肩もあり、思い過ごしでした。
大池の横(右手、通り過ぎた)が、何度か訪れたことにある「大起水産」のお店&駐車場でした。
中央環状線の向かいにラウンド1やニトリがあるので、大池の場所がよく分かります。
日本遺産に選ばれてからつくられたものですね。野遠町は下高野街道を歩いたときに交差した町です。
通った道(下高野街道)の候補が2つありましたが、分からず終いでした。帰宅後に調べてみると、予想していた2つ目の交差点でした。
堺市北区の八下郵便局です。
見覚えのある工場と歩いた記憶のある道です。交通量が多くて危ないと思えるのはこの辺りでしょうか。西除川を遡り天野山金剛寺まで行った際に、ここを通りました。
西除橋まで来ると、今日のゴールは間近です。冷たいし、歩数計も故障して(気が付いてからあと、再び動き始めましたが)そろそろ引き上げる時間だ、とバスが来るのを待ちました。
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